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ハリー・ポッターと賢者の石

2009年05月07日 02:06

今や誰もが知っているファンタジー小説「ハリー・ポッター」シリーズ第1作目の映画化作品。

もちろん以前、DVDがレンタル開始した直後に一度観ているのだが(レンタル開始が2002年だからもう7年前?)、ちょうど今、原作にハマってしまい次々に読破している最中だったので、復習というかビジュアルイメージが観たくなってもう一度観た。ちなみに原作は第5作目「不死鳥の騎士団」の終盤まで読んだところ。映画も第5作目「不死鳥の騎士団」まで公開済みで、今夏に第6作目「謎のプリンス」が公開される。シリーズは全7作で原作は既に完結済みだ。

以前、初めてこの映画を観たときは、それなりに面白いけれどよくわからない印象の薄さがあった。もちろん現代の(当時の)VFX技術でこそ表現可能になった魔法世界を描いた美術は素晴らしかったし、杖を使って呪文を唱えることで魔法をかけたり、箒にまたがって空を飛んだりと、王道過ぎるほど王道なファンタジー要素を、実写で違和感なく観られることは、子ども時代に帰ったかのようななんとも言えないわくわく感を感じることができて楽しかった。ただ、ちょうど当時競うように公開されていた「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのほうが圧倒的に魅力的で、タイミングが重なってしまったためそれと比較してしまったせいもあるのかもしれない。それでも、たとえ「ロード・オブ・ザ・リング」がなかったとしても拭えない印象の薄さがあり、それなりに面白いのに何故なんだろうとずっと思っていた。

原作を読んだ今再び観ると、以前何故ピンとこなかったのかがよくわかった。まず、原作は1年間という、かなり長期にわたる物語であり、そんな大ボリュームの原作で起こる出来事を、2時間半という限られた映画時間内(それでも長過ぎだけど)でかなり忠実に追っているため、物語が平坦で、盛り上がりに欠けるのだ。小説での盛り上がりに割くボリューム(ページ数)と、映画での盛り上がりに割くボリューム(時間)は一致するはずがないのに、映画は原作とほぼ同じペースで進行している。これはあんまりよろしくない。けれど、様々な目新しい出来事がひっきりなしに起こるので、それを次々に追う慌しさで、観ていて退屈かと聞かれればそうでもない。結果、「面白いけど印象が薄い」という、自分の初見のときのような感想が出来上がるのだ。

この感じは自分が「スター・ウォーズ」シリーズを観たときの感じと似ていた。「スター・ウォーズ」もマニアックなファンが山といる大人気シリーズだが、個人的には何故か大して興味がなかったので、昔の3部作すら観ていなかった。比較的最近になって(新3部作がつくられたあと)、それじゃイカン、一応観ておこうと思い立ち、過去3部作を観てみたのだった。そのときも、面白いけどイマイチ乗り切れず、何故これがこんなに人気があるのか結局よくわからなかった。まあ、壮大な舞台設定とか宇宙船とかそういうSFガジェットがよろしいんだろうなーと他人事に感じたぐらい。(ちなみに自分はトランスフォーマーとかエイリアンのフィギュアは涎垂らして欲しがるタイプですが、スター・ウォーズのフィギュアは何故かたいして興味を持てませんでした。きっと趣味の問題)
そのとき感じたのは、「スター・ウォーズ」シリーズも物語が平坦だということ。宇宙船での戦闘シーンがあったり、惑星での戦いがあったりと、迫力あるシーン満載なのに、なんだか淡々としている。これは何故だろうと考えたとき、物語が人物の感情を主軸にして動いているわけではないからだと気付いた。普通、映画は主人公や各登場人物の感情にのっとって動いてゆく。そのため各登場人物に観客が感情移入することで、一緒に悲しんだり喜んだりでき、映画の世界に没頭することができる。
けれど、「スター・ウォーズ」に関して言えば、どうやらルーカス監督にとっては各人物は駒のようなものであり、その壮大な世界観を余さず描ききることのほうが重要らしい。結果、映画は絵巻物のようになってしまい、観ている側は客観的な視線でその壮大な絵巻物を眺めているような感覚になる。それは決して退屈ではないが、いまいち乗り切れないという状況をもつくり出すことになってしまう。登場人物誰にも、主人公にさえ感情移入できないようにつくられてしまっているのだから当たり前だ。

「ハリー・ポッター」が「スター・ウォーズ」より幸運だったのは、原作がしっかりした小説で存在するということ。原作は次々起こる出来事の合間に揺れ動く、その年齢なりのハリーたちの感情がしっかり描き込まれており、物語は決して俯瞰目線ではない。むしろ、どんどん惹き込まれていってしまうぐらいの、キャラクターの魅力がある。それは、やっぱり全世界で大ヒットしたのも頷けると思った。ただ、映画の失敗点は、その「全世界大ヒット」のプレッシャーからか原作者の要請か知らないが、あまりにも原作に忠実に描きすぎて、ハリーたち魅力的な登場人物の描写が疎かになっているということだ。
原作はむしろ、そういった数多くの登場人物たちの感情の流れと交流でできていると言ってもいいのに(そのへんがきっとテーマ)、そこをおざなりにしてしまったら原作の魅力はサッパリ味わえない。起きる出来事をとにかく描くだけでは、飽きはしなくとも誰かに乗り移って映画を堪能することもできないのだ。原作の大ボリュームを映画化する苦労は相当なものだろうが、時には大胆に削ったり改変し、より「映画として」面白いものにしてゆく努力は必要だと思う。繰り返すが、映画としてのテンポと小説としてのテンポは全く違う。

原作があるから幸運だというのは、原作を読めばかなりの部分が補完でき、それによって映画をもっと楽しむことが可能だということ。原作を読んでイメージしたものと映画とのギャップやマッチ具合を楽しんだり、映画を原作の挿絵的感覚で利用したりすることができるということ。
もちろん原作を読んでなくてもそれなりに楽しめることは楽しめるが(特に子どもには良いと思う)、その場合は続きものだということをしっかり認識して観たほうがいい。これはあくまでシリーズもので、話は伏線が絡み合って意外とややこしく、第7作、つまり最終話で、ようやく全てが結末するという心づもりで観ないと、本当には楽しめない。そのわりには一話完結っぽい雰囲気を醸し出しちゃってるのが問題だけど。
ちなみに、主人公ハリーが通う魔法学校ホグワーツは7年制で、原作も7作完結である。つまり、1作ごとにハリーは1年生、2年生、と学年が上がってゆき、物語は毎回夏休み(イギリスだから夏休みが学年の変わり目)~新しい学年の開始(9月)~新しい学年の終わり(6月末)という流れになっている。これに自分は原作を読んで初めて気が付いた。そういった細かい設定や、その世界ならではの用語をしっかり頭に叩き込む必要があるのも注意。意外とボケーっとは観ていられないのだ(特に自分のように、カタカナ言葉や人名が覚えられない人)。

なんだか「ハリー・ポッター」シリーズそのものの話になってしまったが、今作の「賢者の石」は第1作目ということで、様々な登場人物や今後お馴染みとなってゆく舞台の説明が多く、ハリーは11歳と完全に子どもだし、魔法学校には入学したばかりで大して魔法は使えないし、どうしても子ども向け感は否めない。ただ、今後(ハリーの成長に従って)かなり大人なテイストに発展してゆきますので、途中から観るよりはこの第1作から観たほうが絶対いい。というか、そうしないとわけがわからなくなると思う。物語の本編というか、本当の主軸が動き出すのはまだこれから。これは序章だと割り切って観るべき。ただし、ハーマイオニー・グレンジャー役のエマ・ワトソンは本当可愛いです!

(同シリーズの別の記事)
ハリー・ポッターと秘密の部屋
ハリー・ポッターとアズカバンの囚人
ハリー・ポッターと謎のプリンス

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